"ある事件"
それは、怒らせてしまったのである。
怒り、泣き、「最低」という言葉つき。
その時、私は
"叩かれたい"と"叩きたい"が成立してこそのものだと気付いた。
私の"叩かれたい"という独りよがりが、人を傷付けてしまった。
そのショックは大きく、暫く引きずった。
幸いにも彼女は許してくれたが、
モヤモヤは消えないままだった。
同時に、この性癖の満たし方について
考えるようにもなった。
すぐには答えが見つかる訳でもなかったし、
なんなら今も見つからないまま。
考えるようになったと言っても、
時間をかけて考えたり、何かを調べたりといったことはなく、少し"スパンキング"という行為から遠ざかった。
そうこうしている内に、
私は大学へ進学しチャラチャラした
学生生活を送った。
彼女を作ることもなく、
あまりよろしくない遊びも覚えた。
そんな中で、私の人生を大きく左右する出来事が起こる。
実習で、とある施設に行った際
中学生の男の子に話をする機会があった。
担当の職員の言うことは聞かず、やりたい放題の男の子。
でも、私には最初から素直で反抗する様子もなかった。(今思うと、髪型や眉毛や髭、見た目がチンピラのようで怯えていただけなのかもしれない)
その男の子に話をしていると、
男の子は涙を流したり、私の言う事を理解し、
「これから頑張る」
「同じ失敗はしないようにする」
と約束してくれた。
その時、今までに味わったことのないような感情が芽生えた。
自分の話で、言葉で、人が変わっていく様を見ることに気持ちよさを覚えた。
この時、久しぶりに"スパンキング"を思い浮かべる。
もちろん、男の子にお仕置きをした訳ではないし、そんなことしてしまっては虐待だの暴力だの騒がれるのは分かっている。
ただ、男の子に私を置き換えた時、その話の中にスパンキングという行為があるとしたらどうなるのか、、、と考えた。
"されたい"から"やってみたい"に気持ちが変わっている事に気付いた。
実際にその後、社会人となり施設に就職し多くの子どもたちと触れてきた。園児〜高校生まで幅広く。
子供たちの中に、叱られる事を受け付けない子、叱られたいがために失敗する子がいる事に気付いた。
しかも半数近く。
後者に共通して言えることは、片親だったりお父さんを早くに亡くしてたりした。
幼少期にしっかりと自分を見てもらえていなかったり、どこか寂しさを覚えていたり、何かしらの足りない部分を本能的に補おうと、間違った表現をしてしまっているのだ。
全ての人がそうとは言わないが、
当時の上記のような経験を持ったまま消化することができず大人になった人達(キー)がたくさんいる。Twitterだけでも信じられないほどの人たちが溢れている。
まだ子供だった頃、自分の性癖について
悩んで悩んで悩んで悩んで苦しんだあの時間は何だったんだ、堂々とそういう性癖なんだと言っていいんだと自信をつけさせてくれたのは、昔書いていたブログを覗きに来てくれていた人たちだ。
そのブログをきっかけに、私がカーとして
初めての経験をさせてもらうことができた。
続く